名曲『そうだろう・・・』を生んだ高校

名曲『そうだろう・・・』を生んだ高校

 ABC朝日放送の高校野球中継のエンディングで流れる曲を28年間、歌い続けた西浦達雄さんをご存知でしょうか。第80回全国高校野球選手権記念大会〔1998年〕で横浜に敗れたが、準優勝と健闘した京都成章のとある野球部員の話を細かく聞きとって、高校球児を励ます新曲を作られた。

 第70回記念選抜高校野球大会で京都成章は、初戦で岡山理大付に2-18で敗退したが、夏は第80回全国高校野球選手権記念京都大会で公立の強豪・鳥羽を7-0で破り、優勝を決めた。しかし、春の甲子園のベンチに入ったこともある3年生部員が、閉会式の後、夏の甲子園のベンチを外れることになった。

 予想に反してアルプス席から応援する自分が情けなく、孤独に襲われ自分がベンチに入らないチームなんか早く負けてしまえと思ったが、春と違いどんどん勝ち進み、決勝で松坂大輔投手の横浜と対戦することに。彼の心理状態の変化をヒントに西浦さんは、同じような屈辱を経験している高校球児を激励すべく『そうだろう・・・』を完成させた。

 新曲『そうだろう・・・』がCDとしてまだ世に出ていない頃に、大阪の貝塚市から宮崎県・日南学園に野球留学したある1年生のご両親から深刻な相談が西浦さんに持ちかけられた。入学直後に骨折などの大ケガをして野球を続けることが困難という医師の診断に、本人は絶望して寮の部屋に閉じこもった。連日、監督や部長、それにご両親が説得を試みても出てこないので、どうしたら良いかという内容。西浦さんは、家族以外の誰にも聴かせたことのない、完成したばかりの新曲『そうだろう・・・』をご両親に託した。やがて日南学園の1年生は、繰り返し西浦さんの曲を聴いて、励ましのこもった力強い歌詞に自分の境遇を重ねて自問自答。何日か後にはユニフォーム姿で腕をつった状態でグラウンドに現れ、周囲は驚いたという。ボール拾いや雑用から再スタートした彼は、徐々に頭角を現し、3年夏には背番号12番をつけて甲子園に出場した。ご両親はどんな思いで彼の姿を見たのだろう。開会式の入場行進は感激したに違いない。西浦さんの歌は、高校球児のメンタルタフネスに極めて有効であることが証明された。

 なお、『そうだろう・・・』は2001年~2003年の3年間、高校野球中継のエンディングで採用され、今やカラオケでも堂々と流れてくる。ぜひ、一度お聴きいただきたい。

蛭間俊之