戦後のリーグ戦再開を知る元プロ野球選手

戦後のリーグ戦再開を知る元プロ野球選手

 阪急〔現オリックス〕や大洋〔現DeNA〕などで主力投手として活躍された今西練太郎さんのお話が、6月19日〔金曜〕の毎日新聞夕刊で紹介されていた。当時「職業野球」と呼ばれたプロ野球が戦争のために長い間、途絶えたのである。1944年に陸軍に入隊したが、終戦を迎えると、1945年秋に母校・浪華商〔今の大体大浪商〕を訪ねた。野球部長からプロ入りを勧められ、お兄様が営む散髪屋さんの常連に、村上實・阪急球団代表〔天王寺→慶應義塾大学、1995年に野球殿堂・特別表彰〕がいた関係で、二塁手で入団した。1946年4月にプロ野球が再開したが、戦前の名投手たちが手投げ弾の投げ過ぎなどで、肩や肘を故障したため、今西さんは6月20日に先発し、初勝利。7勝を挙げると翌年からエース格でチームを牽引した。1955年に現役を引退するが、通算88勝を記録した。

 私が今西さんを記憶するのは、佼成学園高校の監督として、1966年春と1968年春の選抜大会にご出場、1974年夏には西東京代表で臨んだ第56回全国選手権大会で、定岡投手の鹿児島実に0-1で惜敗したが、辰濃投手【後に慶應義塾大学】の好投が印象的だった。ベンチで冷静に試合展開を見つめる姿勢は素晴らしかった。いま95歳とご高齢だが、甲子園でユニフォーム姿で始球式をされる日を楽しみに待ちたい。

蛭間俊之