8月の甲子園は球児に

8月の甲子園は球児に

 甲子園球場は、中等学校野球〔今の高等学校野球〕人気が沸騰したため建設された。鳴尾球場で開催されていた全国中等学校優勝野球大会〔今の高等学校野球選手権大会〕の人気が高まり、1923年夏の準決勝、甲陽中学ー立命館中学戦では、観客が場内にあふれ、1時間30分も中断した。球場を運営する阪神電鉄は、都市交通視察で米国滞在中の車両課長・丸山繁氏に「鳴尾がパンク」と電報を打ち、大リーグの球場設計図を入手するよう指示した。こうして、甲子園球場は、翌年〔1924年〕8月1日に完成した。

 8月10日から16日間、阪神球団幹部は、「高校野球に使っていただこうと考えている」と甲子園球場を球児のために開放している。

さて、続編は明日にまとめたい。

蛭間俊之