野球
こんにちは!八木です。
私は野球部・ソフトボール部に携わり、部活動活性化に力になりたいと本気で思っています。強い思い入れの基盤は、私の経験の中から生まれました。
私は、高校・大学の7年間野球部のマネージャーをしていた経験があります。
きっかけは兄です。
5歳上の兄がおり、小学生のクラブチームから野球を頑張っている兄の姿を見て育ってきました。私も兄に憧れて、少年野球を始めたかったのですが、祖母から「女の子だからダメ」と言われていました。私が小学校5年生の時に兄が高校生で、兄の高校野球を母と一緒によく観に行っていました。
その時に、高校の監督から「お前もここで野球部のマネージャーやれよー!」と声をかけていただき、「絶対やります!!!」と意気軒昂に答えた情景を今でも鮮明に覚えています。そして私は野球部のマネージャーをするために、中学ではソフトボール部に入部しました。
祖母からは「女の子やのに顔を怪我したらどうするの」と、ソフトボール部に入部することに反対されていましたが、反対を押し切って入部しました。兄は野球をしているのに私は「女の子だから」と反対されてしまうことに疑問も感じていました。ですが、ソフトボール部に入部して選手としての活動に家族みんなすごく応援してくれていました。
そんな中、試合中に内野フライが上がった時にキャッチャーの子とぶつかってしまい、顔にアザをつくったことや、打球が目にあたり救急車で運ばれたことがあります。祖母が心配していたことが的中し、私を大事に想っているからこその心配と反対だったことに身をもって感じました。
中学3年間、打順1番サード八木として奮闘する日々を送っていました。滋賀選抜にも選んでもらうことができ、選手の気持ちを3年間通して経験しました。
そして、兄が通っていた高校に入学し、野球部マネージャーを務めました。監督もその約束を覚えてくださっており、異動の話も毎年上がっていましたが何とかその高校に残ってくださり、兄がお世話になった監督の下でマネージャーをすることができました。
選手としての経験があったからこそ、即戦力をなるマネージャー業務ができ、私の野球人生の基盤となっていました。
私が野球部引退すると同時に、監督を引退され、私の卒業と同時に、監督は他の学校に異動されました。兄が高校を卒業しても、試合の応援に行っていたので、その監督とは計11年の関係性があり、八木家の恩師です。
夏の最後の大会に敗戦し、野球部を引退する際に、監督からウィンドブレーカーに油性ペンで「8年越しの約束ありがとう」とメッセージをいただき、一生の宝物となっています。
これらの経験から大学でも、強豪校であった軟式野球部のマネージャーをするきっかけにもなりました。どういう仕事がしたいか考えたときに、野球部で得た経験を活かしたい・部活動に関わる仕事がしたいと強い思いがあり、こうして今、おもれいに入社するきっかけにもなりました。
自分の本当にやりたい仕事に出会えるということはすごく幸せなことだと思います。学校へ訪問することも増え、たくさんの先生からのご希望のお声をいただきました。ご希望を実現できますように日々邁進していくとともに、部活動を頑張っている高校生に後悔のない進路選択のためのきっかけ作りができればと思っておりますので、今後ともおもれいをよろしくお願いいたします!